「憐憫」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
普段の会話ではあまり使われることはない言葉ですが、本や新聞など文字媒体では見かけることもある言葉です。普段使う言葉ではないだけに、読み方や意味を何となく知っていても、きちんと知っている人は少ないのではないでしょうか。ここでは、「憐憫」の意味や使い方を紹介していきます。
また、似たような言葉で「不憫」という言葉があります。こちらは「憐憫」に比べると使う機会もあると思いますが、「憐憫」と併せて意味や使い方、「憐憫」と「不憫」の違いなどを紹介していきます。
「憐憫」の意味・使い方
「憐憫」は「れんびん」と読みます。意味は「あわれむ、あわれみ、かわいそうに思う」です。
「憐憫」は名詞で、他人が悲しんでいたり、哀れさを感じるシチュエーションに対して、自分が情けをかける、意味合いで使われます。自分から見て他人の状況に対して抱く「かわいそう」や「あわれに思う」という感情について表す言葉です。
よく使われる言葉として「憐憫の情」「憐憫のまなざし」などがあります。これはそれぞれ「あわれに思う」「あわれみの目線」といった意味になります。下記に例文を挙げてみます。
- 憐憫を乞う
- 憐憫を惹く
- 憐憫の中に侮辱を感じる
- 憐憫の情を買う
- 憐憫の的になる
このような感じになります。他人に対して、自分が同情的になるという意味合いがあるので、時として悪い意味で使われることもあります。
「自己憐憫」とは
「憐憫」という言葉の使い方の中に「自己憐憫」という言葉があります。「憐憫」は他者の不幸に対して、自分が同じ気持ちを抱くという意味で使われますが、「自己憐憫」の場合は自分が自分に対して、かわいそうである、哀れであるという気持ちを抱いた心理状態を意味します。
自分が一番かわいそうである、という状態のときに使う言葉なので、自分の不幸に酔っているナルシスト的な意味も含みます。また、自分が不幸であると自覚して使う言葉なので、あまりいい意味で使わない言葉でもあります。下記に例文を挙げてみます。
- 自己憐憫に陥っている
- 自己憐憫に浸る
- 自己憐憫の表情
このような感じです。いずれも前向きな意味ではなく、自分が一番不幸な状態で、その状態を受け入れている様子なので、いい意味では使われていません。
「憐憫」と「不憫」の違い
「憐憫」と似たような言葉として「不憫」という言葉があります。
「不憫」は「ふびん」と読み、「かわいそうなこと」や「不幸なこと」という意味があり、「憐憫」とよく似ています。
大きく違うのは、「不憫」は名詞以外に、形容動詞としても使うことができる点です。相手がかわいそうな状態のとき、「あの子は不憫だ(名詞)」「不憫な子(形容動詞)」として使います。
【例文】
- 不憫な戦争孤児を助けたい
- 妹が不憫だ
- 両親を亡くした友人が不憫だ
「憐憫」が「かわいそうだ」と自身の感情を表すのに対して、「不憫」は「かわいそうである」という状態を表すという違いがあります。したがって、「あの子供は憐憫な子だ」とは言いませんし、「不憫の情」とも言いません。
ということで、「憐憫」は名詞で感情を表す言葉、「不憫」は形容動詞で他者の状態を表す言葉と言うことができるでしょう。
まとめ
ここまで「憐憫」の使い方や意味について、併せて「不憫」との違いについても触れてきましたが、いかがでしょうか。
意味はどちらもよく似ていますが、言葉の性質が違うので、使い方も変わってくることがわかっていただけたと思います。
普段見聞きする言葉で、意味がよく似ていても使い方が全然違うという言葉は、ここで触れた「憐憫」と「不憫」以外にもたくさんあります。「憐憫」と「不憫」も含めて、正しい意味と使い方を覚えておきたいものです。